日本におけるお墓の歴史 (奈良の永代供養は極楽寺)

「お墓とは」と聞かれると、故人の遺骨を納め、そこに石塔を建て供養するものだということは誰でもが知っています。しかし、「お墓をなぜ建てるのか」と聞かれて、即答できる方は少ないと思います。

 

仏教をはじめ、あらゆる宗教においても、お墓を建てることを義務づけている教義はありません。お墓を建てるという行為は、どちらかというと、宗教的なものよりも民俗的な考え方、あるいは慣習に基づくものといえます。

 

葬送については、それぞれの国によって考え方も異なります。例えば、インドのように死体をガンジス川に流すという国もあれば、鳥葬といって、鳥に死体を食べさせることで、鳥とともに魂が昇天していくと考える国もあります。また、むしろに包んだりして遺体を風化させる、風葬というものもあります。

 

日本では一般的に、お墓に埋葬し供養することによって、故人の魂が浄化され成仏するというふうに考えられてきました。近年は撒骨といった新しい葬送のスタイルも現れてきていますが、民俗としての伝統的な考え方は、現在でも受け継がれているようです。

 

お墓の歴史を振り返ると、現代のような墓石を築くお墓が建てられ始めたのは、江戸中期の頃からだと言われています。といっても、その頃からすべての庶民がお墓を建てられたわけではありません。それは、権力や富を持つ経済的に豊かな一部の層を中心にした話で、一般の庶民にとってはまだまだ縁遠いものでした。

 

今日のように誰もがお墓を自由に建てられるようになったのは、さして古いことではありません。昭和三十年代の日本の高度経済成長時代を経て、日本の国が豊かになり、また霊園といった形態の墓地が定着し、なおかつ先祖を思いやる精神的なゆとりが生まれるという、そうした様々な時代背景の変化の中で建墓が促進され、一般化されてきたといえます。

 

元来、お墓というものは一族のシンボルであり、一族で守るという意識が根強くありました。ところが、戦後、日本の新民法によって家族制度は大きく変化し、一族の墓というよりも、一家の墓という形に、さらに一代の墓、個人の墓へと変貌してきています。