祈願 供養 奈良 紫雲山 極楽寺 弁天さん
正門

極楽寺の歴史


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真言宗 紫雲山 極楽寺
は第三十二代用命天皇の時代、用命二年(五八七年)今から約一四〇〇年前に聖徳太子により建立されました四六ヶ所の内の寺の一つと伝えられています。
その当時はこのお寺の名前を常楽寺と申しまして、ここ安堵の守り神の牛頭天皇社(飽波神社)と、共に聖徳太子により建てられました。
沢山のお堂や伽藍を備えた大きな寺で聖徳太子の本願成就や牛頭天皇と仏法の守りを祈願したと伝えられています。
しかしながらこの栄えた勢いも聖徳太子が亡くなられた後はしだいに衰え、わずかに檀家の人々が見守ってきました。
聖徳太子無き後のこのお寺、常楽寺は平安時代の中ごろにはお堂が新しく建った別のお寺に使われたり場所を移されたりしてお堂の基礎の部分だけが残されて半ば言い伝えのお寺となりつつありました。

この事を嘆いてこの寺の再建に努力したと伝えられるのが、恵心僧都という偉い僧侶でございます。
寛弘三年(千六年)第六十六代一条天皇の御世に常楽寺を再考するようにと夢のお告げにしたがって諸々のお堂の再建の願いを立て、再建の詔を天皇より授かってようやく出来上がったのであります。
恵心僧都はこれは阿弥陀様のお蔭によるものであると信じ、この時よりお寺の名前を紫雲山 極楽寺と改めたと伝えられています。
当時はこのお寺の持っている領地は七〇〇石、僧侶の住む家は七〇余りもあったと言われ、また現在の本堂の南一〇〇mの所に南大門があったと言われております。
戦国時代の世になりますと大和の国はその支配をめぐって戦乱が続いていました。大和では興福寺が思慕の権力を持っていましたがその土地その土地の名手たちを宗徒国民と呼んで武力組織をつくっていました。当寺その宗徒の頭領で、現在の大和郡山市、筒井に本拠をおいていた筒井市と信貴山に城を構えていた三好長慶の家来、松永久秀氏との間で戦乱が絶え間なく続いていました。
このお寺もその戦乱で火災に遭い一五六九年に護摩堂などが焼けて無くなりお寺の領地はすっかり没収されてしまいました。しかし天承五年(一五七七年)には筒井順慶という侍の大将のよりお供え物などを作る田んぼと木や竹を切り取る事を禁じ動物の殺生を禁じた境内地をお寺の領地として与えられ永らく途絶えていた法要がまた営まれる事になりました。
戦国時代の終わり頃には真言宗の僧が極楽寺復興の為はいってまいりた。一五九六年にお堂の修復を行っております。
江戸時代の極楽寺は、極楽寺の本坊と僧侶の住まいが東之坊、西之坊、南之坊、北之坊、角之坊、奥之坊の六ヶ坊ありました。境内には本尊阿弥陀如来坐像を安置した本堂と庫裏とお経を納めたお堂がありました。
このお寺の本部にあたる東之坊には代々住職の僧侶が入って相続していました。この時東之坊の本尊には聖観音菩薩立像を安置しておりました。
しかし貞享四年(一六八七年)には東之坊を除く五ヶ坊はすでに耐えているとの記載があります。
極楽寺は飽波神社祭りに関係がある神と仏の調和とれた性格を持つお寺でした。
そのため、明治の初めに起こった廃仏毀釈また、神仏分離によって始まった神社と寺院の争いにこのお寺も荒れ果てて住職のいない無人のお寺となったりあるいは兼務の住職によって保たれた時期もありましたが現在は 重要文化財 阿弥陀如来坐像はじめ数々の文化遺産を保持しております。昭和六二年より現在までお堂の修復、建て替えなど終え、現在はご覧の通りの境内です。

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仏様御紹介


                本尊阿弥陀如来坐像
本尊 阿弥陀如来坐像(国指定重要文化財)


像高は139センチメートル。伏目のやさしい、満月のごとくおだやかに整った顔容、柔かい衣のヒダの刻出などから、本像が仏師定朝出現以後の藤原仏であることがうかがえる。大正11年に国宝(現重要文化財)に指定されております。遠方からも大勢の参拝者が手を合わせに来られます。


      大般若経
大般若経全六〇〇巻(国指定重要文化財)


ここ安堵の守り神の牛頭天皇社(飽波神社)に奉納されたこの六百巻は、安和元年(九六八年)に書写され、応永年中(一三九四〜一四二八年)に修復されている。しかしその後時代と共に傷み過半不足してはおりましたが延宝六年(一六七八年)より同八年かけて十万旦那に勤め、一紙半銭の助成を請うて修復整理した。このときに巻紙であったものを折本に改めたとされている。
普段はふたを閉めていてお経を見る事はできないが、毎年(5月第2日曜日 午前10時〜 )年間行事である「大般若転読法要」では拝見する事が出来る。(一般参加可能)。


聖観音菩薩立像
聖観音菩薩立像

像高は八五.五センチメートル。全く内ぐりのない一木彫成像である。時代は平安中期(11世紀頃)と思われる。 江戸時代ではこのお寺の本部にあたる東之坊の本尊であったとされている。現在は本尊の脇左側に安置されており、 お顔はとても優しく微笑んでおられます。

弘法大師
弘法大師

弘法大師とは、平安初期の僧の空海のことをいう。空海は、真言宗の開祖。遍照金剛(へんじょうこんごう)ともよばれ、俗に「お大師さま」の呼び名でしたしまれている。空海は、経典の研究ばかりをおこない人々の救済をおこたっていた奈良仏教を批判し、即身成仏思想を強調した。四国八十八カ所の巡礼も、この大師信仰から生まれたものである。

大日如来
大日如来

大日如来は真言宗を代表する仏様としてよく知られている。写真ではよく見えないが極楽寺の本尊の後背上部にも大日如来がいる。真言宗の教えで、すべてはこの大日如来が変化して仏様や我々や周りの方々に姿を変え説法してくださっている。本尊もまた雲の上から下りてきた大日如来が変化し姿を変え阿弥陀如来となられた様子を表している。

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住所 紫雲山 極楽寺 〒639 - 1061 奈良県生駒郡安堵町東安堵一四五三番地
TEL (0743)57-2231
MAIL info@gokurakuji.org
住職 田中全義

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